誰も興味はないと思うけれど、一応書いておきたい。
48Gの秋葉原を追いかけていた頃は、特定の推しという存在はいなかった。
そもそも「推す」という意味がわかっていなかった。
「推し歴」はまた別のエントリーで語ることとして、アイドル歴を。
48Gの前に戻ると、時々ここで話題にするチェキッ娘。
今でいうアイドリング!!!のさらに前の世代のフジテレビ系アイドルの応援をしてた頃まで遡る。
2000年頃かな。わーもう15年も前の話か...
水口Pとか、今は何をされているのだろうか...
この時は事実上初めて現場に出たと言って良いだろう。
いろいろな方と出会うことができたが、ファンの数で言えば今のつりビットと同じか、最終的にはそれよりも増えたと記憶している。
解散まで立ち会った。
その時は社会人で、それでもブランク開けだったので、その前となると、もう乙女塾くらいまで戻るのかな。
CoCoとかribbonとか、Qlairとかを見ていた。
あくまでもここでは見ていただけ。
その前だとソロでは酒井法子とか。
この時はコンサートには行ったかな。
生まれて初めてのコンサートは、もうすぐ取り壊される中野サンプラザ。
最近の彼女はいろいろと問題があったけれど、私にとっては大切な思い出の人。
その前はいろいろとマイナーなアイドルを転々としていたけれど、原点はやっぱりフジテレビ系アイドルのおニャン子クラブ。
夕方の番組とともに生活の中に溶け込んでいた感じはあったかなー。
当時は都内に住んでいて、最寄り駅で何人かでいるメンバーと話しかけてるファンらしきを見た覚えがある。
彼女たちは「素人っぽさを売る初めてのアイドル」というポジショニングが良かったのだとは思う。
それまでアイドルというとそれなりのプロであることを要求されていたが、その概念が崩れて、だからこそ史上空前の大ブーム、社会現象になったのだと思う。
結局、その後乙女塾とか、チェキッ娘とか、48Gへの流れなんかを考えると、やっぱり自分にとって素人っぽさはアイドルの原点だったのかなとは思う。
なので、逆にそうでないハロプロだとかE-girlsなんかには何の魅力も感じない。
話を戻すと、おニャン子時代は、当時中学生でいろいろ忙しくしていたら、盛り上がるだけ盛り上がって一気にバブル崩壊して、あっさりプロジェクトが終わってしまった。
今思うと、この時現場に行けなかった後悔が、現場を重要視する今に繋がっているとも言えるだろう。
こうして見ると、意外と自分のアイドルとの関わりは結構ブランクの期間が多い。
なので、自分は短期集中型なのかなとも思う。
つりビットはプロジェクトの終了まで、とは思っているけれど、そこからまたブランクがあるかも知れないし、一応自分の中では最後のアイドルと思っているので、いつまでも続いてほしいと願ってはいるけれど...