今日は私の推し歴を書いてみる。
「推す」ということの意味がわかったのは、48Gの秋葉原から栄に拠点を移した時のこと。
それまでは純粋な箱推し、あるいはチーム推しだった。
もちろん気に入ったメンバーはいたので、それを「推し」と呼んでいたりはしたが、今思えばそれは単なる「推しもどき」だったに過ぎない。
その頃のスタンスは、CDは1枚だけ買う、握手会には基本行かない、だったので、なんだか握手会のためにCDを何十枚も買うとか、あり得ないと思っていた。
そんなことして何が楽しいの?何の目的?誰得?などと思っていた。
これはこれでごく一般人の感覚であるし、通常のライトなファンレベルの感覚ではある。
それを変えたのが「推す」ことの意味を知った時だった。
単なる公演目当ての応援だったが、そこで気になる子を発見してしまった。
そしてその子を「真剣に応援したい」と思ってしまったのだ。
私はどちらかというと脚光を浴びていない子に注目をして、その子を押し上げたいと思うタイプなので、そういう性格に火をつけるようなタイプの子だったのだと思うけれど、とにかくその子の推しとなった。
「推す」となると今までの世界観とは変わって、公演でその子の名前を叫ぶとか、握手会でループするとか、認知してもらうとか、それまでの一般人、ライトファンとは全く異なるものとなることを感じた。
その子は当時はどちらかというと干され側だったが、推すべきところがあると思って一生懸命応援していた。
地道に応援して、総選挙で大躍進して、その子は栄では選抜の常連となった。
私の応援が功を奏したのでは決してなく、純粋に応援している子の成長が見られて良かった。
その後、ある種の満足感があったからか、後から入ってきた子に推し変をすることになった。
推し変先の子は、中学生。
前にも書いたけれど、折角意を決して行った推し変だったが、握手会でのいまいちな感じから、その同じ握手会にいた別のメンバーに更なる推し変をしてしまうことになる。
3人目の子も当時は干されていたメンバーだった。
でも注目して追いかけて行くうちにだんだん人気も上がってきた。
しかし、そうこうしているうちにとある研究生に惹かれてしまい、結局はまた推し変することとなった。
3人目の子は、その後の総選挙では速報でかなり上位に食い込んで、メディアに大きく取り上げられたりもしたし、総合選抜にも連続入りしている。
その後、推し変してしまったけれど、今でもその子の大活躍をとても嬉しく思っている。
そして、その時で最後となった4人目の子は、上に行きたいと頑張る研究生という立場が良かったのだと思う。
もちろん、応援した子の中では一番可愛かったけど、とある事情で現場に行くことが一切できなくなって、推し生活はピリオドを迎えた。
ちなみにその4人目の子は、その後無事に正規メンバーに格上げとなるが、その子はその子でゴシップ系でメディアに載ってしまったり、果ては...ここでは詳細は割愛するが、個人的には彼女が「最後に応援したアイドル」であると言うのに少し違う気がしたので、だからつりビットの現場に出ることにしたという動機も一部にはある。
さて、いろいろと書いたけれど、年齢論の話。
1人目の推し・・・大学生になりたての4月(18歳)
2人目の推し・・・中学生
3人目の推し・・・高校卒業寸前の3月(17歳)
4人目の推し・・・高校卒業寸前の3月(18歳)
このデータを見た時、2人目の子は1ヶ月程度しか推していないので除外をすれば、自分に合った年齢は高校3年生~大学1年生の18歳前後なのだと思う。
そう考えた時、やはりつりビットでは中学生メンバーと云う選択肢は現時点では難しく、やはり17歳のみーちゃんを推すのが、既定路線である気はしている。
もちろんね、消去法でもなく、無難路線でもなく、自分の意思で彼女のところに行くのだけれど。
いずれ...という話をすればもちろんあゆたん推しの可能性はある。
彼女が高校生になって学年が進む頃...この頃までつりビットが今の形のまま存在しているかは未知数であるが、そのタイミングで彼女を推す可能性もあるだろうし、もっと早くその時が来る可能性は否定できない。
しかし、見なくてはならないのは今である。
なので、みーちゃんのところに私は行くのである。