この記事は3年前に執筆していたブログのリライトである。
このブログやツイッターを何度か見ていただいたりしている方は、「どうしてこの“せいじ”と名乗ってる人はこんなにストイックにファンをやってるんだろう?」「もっとライトに応援した方が絶対に楽しいのに...」と思われているかも知れない。
でも、恐らく下記を読んでいただくと、何故私が3年超のブランクを経てこのつりビットの現場にやってきて、時間をかけてギアをトップスピードに入れ、そして名古屋遠征にここまで力を入れているのか、その一端がもしかするとわかるかも知れない。
ただ、私のことを理解していただくことはどうでも良いことで、これを読んでいる皆さんにとって、つりビットとはどのような意味を持ったアイドルなのか、推している子はどのような存在なのかを振り返っていただく良い機会にしていただけたらと思っている。
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投稿日: 2012年4月26日
先日、今出舞の卒業発表があった。
スケジュール的に考えると、彼女に握手会で会えるのは日曜日のAKB48個別握手会が最後になるのだろうか?
本人も6月からは日本にいないと明言しているので、恐らくはそういうことになるのだろう。
今出舞推しのファンの方は、遠征までするレベルのファンであれば日曜日に上京する人も多いだろうけれど、そうでないファンは劇場公演に当たらない限り、もう彼女とは話すことができないことになる。
5月末の全握のステージで挨拶くらいはするかも知れないけれど、話はできない。
彼女のファンの皆様の心中をお察し申し上げます。
私事にはなるが、実は親しい人が今、重篤な状態で病院に入院している。
私の人生のほとんどを共にしたと言っても良いくらいの非常に親しい人である。
先週お見舞いに行ったときには話せたのだが、昨日はもう話せない状態だった。
正直なところ、もうこの人とは話すことはできないのだろう、見送るだけなのだと覚悟をするほどだった。
不謹慎と言われるかも知れないが、私はこのことと「アイドルを応援すること」は同じなんだと思った。
その親しい人とは先週話をしたのが、本当に最後の会話になる可能性が高いと思っている。
考えれば考えるほど悲しいけれど、それが現実である。
そして、全く同じことが今出舞のことにも言えるし、これまで卒業して行った研究生・メンバーの多くにも言える。
私がよく引き合いに出す、さゆ(森紗雪)とりな(新海里奈)。
チームSにいた彼女たちのことを知っている人はもう少数派になっているのかも知れないが、彼女たちが突然卒業を発表したのは今から2年前の5月8日の研究生公演でのことであった。
この発表はあまりに突然のことで、その日会場にいたファン以外はお別れの言葉すら言えなかった。
別れというものは本当にいつやってくるかわからないものである。
よくテレビドラマで親の死に目に立ち会うようなシーンがあるが、それはあくまでもドラマの話で、ほとんどのケースは事後報告でそれを知らされる。
もう少しライトな話で言えば、恋人と別れる時も割と急な話で、別れ話を切り出された時点で「ああしておけばよかった」と思っても、もう遅かったりすることがほとんどである。
そして、その相手が学校や勤務先に行けば会える人ならまだしも、そうでなければ「もう二度と会えない」ことの方が圧倒的に多い。
こんなことを書いて何を言いたいのかと言うと、「どんな時でもベストを尽くす」ことが大事なのだということである。
私は、その親しい人と先週会った時、「これで最後かも知れない」と思って話をした。
もちろんいつまでも話をしていたかったが、面会時間もあったし、自分にも生活があるから、そうも行かなかった。
でも、その時、時間を取って話をしておいて良かったと今では思っている。
別に特別な話をした訳ではない。
でもいつも通りの会話をできたことが良かったと思っている。
アイドルの応援についても、別れがいつ来るかはわからないということだ。
だから、ベストを尽くすべきだと思うのだ。
いつか必ず別れが来るのがアイドルなのだから、一番好きな子にはベストを尽くすべきなのである。
ベストを尽くしておけば後悔は少なくて済む。
もし突然別れが来たとしても、もちろん別れの寂しさは変わらないかも知れないけれど、「頑張って応援したよね」と思うことができればそれで良いのだと私は思う。
少し話は逸れてしまうが、≪3人目の推しの子≫のこと。
次の握手会でも購入した握手券の行使はしない予定。
でもね、推しだった時はベストを尽くして応援したので、後悔は全くしていない。
だからこそ「抵抗なく推しを変えられた」と言えるのかも知れないし、今推している≪4人目の推しの子≫のことは「2年半もベストを尽くせなかったことへの後悔があるから、それを一生懸命埋めようとしている」と言えるのかも知れない。
≪4人目の推しの子≫だって職業はアイドルだけど、普通の女の子である。
昇格できない現実に心が本当に折れてしまうこともあるかも知れない。
ふと冷静になった時、今出舞と同じように「芽が出なかったのだからあきらめよう」とぼんやり思っている可能性もないとは言えない。
でも、そんな普通の女の子に「君は一番のアイドルになれるんだ」と勇気づけられるのは、推ししかいないんだよね。
だから僕は僕のやり方で≪4人目の推しの子≫に勇気を持ってもらうようベストを尽くしたいし、同じ立場のファンにもそれはお願いをしたい。
『強き者よ』の歌詞に通じるところがあるが、勝者とは去らなかった者のこと、つまり諦めなかった者のことで、敗者とは諦めて去っていった者のことである。
そして、実はその違いは紙一重でしかない。
諦めて去ってしまうのは本人の実力の問題もないとは言えないが、やはり気持ちによるところが大きい。
松井玲奈のような本当の勝者には勝者なりの孤独や苦悩はあると思うが、≪4人目の推しの子≫のような「諦めていないという勝者」にも苦悩があるはずである。
手紙や握手会だけでその苦悩を解消できる訳では必ずしもないが、私たちにできることは限られている。
限られた中でベストを尽くし続けることが私たちファンの使命であり、それをヒントにしながら孤独と戦い、諦めないで上を目指し続けることがアイドル自身の使命なのである。
いつか書いたことではあるが、「今日も明日も推しを応援できること」が私にとっての何よりの幸せである。
誰かのキャッチフレーズのように「未来がある、続きがある」そのことが大事なのである。
もちろんどこかに必ず終わりがあることは誰にも変えられないので、これからも後悔をしないように、応援を続けて行きたいと思う。
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後日談としては、結局≪4人目の推しの子≫の最後はここに詳細を書きたくないくらい酷くて、それを考えるとあー推さなきゃ良かったと思う気持ちもあるのだが、でも、その時、具体的には私の強制終了となった最後の応援活動はその子との個別握手だったが、その後の酷かったことを考えなければ、「またね」ってお別れしたあの時の≪4人目の推しの子≫の笑顔は忘れていないし、その時の一生懸命な彼女を応援できたことは今でも誇りに思っているし、とても良い思い出である。
今そう思えるのは「その時真剣に応援していたから」であり、そうでなければ、その後のことはたぶん受け容れられないか、トラウマとなって、もうアイドルには二度と近づかなかったかも知れない。
でも、私はこうしてフィールドを変えて、「このグループしかいない」と思って、1年半の在宅期間を経て、勇気を持って、また強制終了させられる可能性を秘めながらも、つりビットというプロジェクトとその現場に覚悟を持ってやって来た。
私のアイドル応援には緊張感が常にある。
つりビットではないかも知れないが「メンバーの活動休止」「プロジェクトの終了」。
こちらの方が可能性としては高いが「私自身が活動を強制終了させられること」。
そういったある種の不可抗力は起きる時は避けられないし、結果的に終わってみれば「何もなくて良かったね」となることの方がほとんどだったりもするが、どちらにしても「今日の現場が最後かも知れない」という気持ちだけは持って毎回の現場に臨んでいる。
そして、それこそが「アイドルを応援することに後悔をしないこと」の原点だと思っている。
明日の名古屋はそんなことが根底に流れつつも、その中でいかに自分が推しやメンバーたちと楽しい時間を過ごせるかを追求して行きたいと考えている。