
つりビットでは最初単推しで、その後5人推しを目指し、今年からは再び単推しを敢行している。
昔は(何度も推しを変えてしまったけれど)単推しばかりだったし、きっとこのスタイルが自分には合ってるんだろうなと率直に思う。
「5人推し」から「単推し」というのは、それはそれで慣れが必要ではあったりしたけれど、ほとんど必ず5人にしていたリプもあゆたんだけにして、タイムラインも原則あゆたん推し全開。
そんなことにももうさすがに慣れてきた感じかな?
単推しって、5人推しの時と違って気を遣わなくて良いところが良かったりはする。
どうしてもバランスを取りたがるのが人の心みたいだし。
もちろんね、分散していたエネルギーを一点集中にするとかがあるので、単純に減らすだけじゃなくて増やす部分もあるのだけれど、ようやく気持ちも状況も整ってきた感じかな?
単推しになると見えるもの。
それは単推しになって集中していないと見えないものだったりする。
あとは、一度見た動画の類をあゆたん一点集中で見てみたりとか。
それはそれで一粒で何度も美味しいみたいなものではあるけれど。
推してみて初めてわかったけど、あゆたんって結構のめり込んでしまうタイプだね。
あ、推してる側がね。
何だろうな、外側から見ている時はあゆたん推しの人ってのめり込んでる感が強いなぁと思っていたけれど、推してみたらそのことがよくわかるみたいな。
あるお知り合いさんが「あゆたんはハマりそうなので(推すのは)やめておきます」と言っていたことがよくわかる...
でも、「見る対象が1つ」というのは(もちろん大変なこともあるけれど)、ある意味ではとても楽である。
他のことは見ないようにすれば良いだけだし、そもそも一人のメンバーをきちんと見ること以上に何が必要なのか?そんな余裕はあるのか?と正直思ったりはする。
その点ではストイックと思われる向きもあるかも知れないけれど、それは単純に私自身が不器用なだけなのかも知れない。
ただ、もちろん他を見なくても満足できるレベルを満たしているからあゆたんを推すことにできた、ということもあるのだけれど。
単推しはやっぱり楽しい。
でも、もう1つあるのはこの楽しい時間は、いつまでも続かない可能性があるということ。
それは、推しを変えるとかそういう話ではなくて、気持ちは一緒であっても、通える環境が今と同じであり続ける保障はどこにもないということだ。
仕事がそうさせるかも知れないし、家庭がそうさせるかも知れないし、自分自身の何かがそうさせる可能性もゼロではない。
だからこそ、この一つ一つの時間を大切にすべきだと考えている。
あゆたんのステージを応援することも、握手会で話をすることも、チェキを撮ることも、リプを送ることも、手紙を書くこともすべて。
そうならない可能性の方がほぼ100%であっても、今日で最後だと思って全力を尽くすこと。
つまりは後悔をしないこと。
そのために、推しているメンバーは一人だけで良いし、自分が最後に応援すると決めたあゆたんと一緒に過ごせる「今」をこれからも大切にして行きたいと思っている。
